投稿ナビゲーション

50歳で血圧200、右目に難病と言われた日|59歳の私が9年間、病気と向き合ってきた話

3. 健康・習慣

50歳のとき、会社の健康診断で血圧が200を超えた。

「もう一度測り直しましょう」と看護師さんに言われたが、2回測っても200を下回らなかった。その日のうちに内科に回され、「今日から薬を飲んでください」と言われた。

驚くよりも、正直「ついに来たか」という気持ちだった。父も高血圧だったし、いつかは自分もそうなると思っていた。それでも、200という数字はさすがに重かった。頭痛も動悸もなかったので、自覚症状がまったくなかったことがかえって怖かった。「こんなに高くても何も感じないものなのか」と医師に言ったら、「だから高血圧は怖いんです」と返ってきた。

血圧の薬を飲み始めて、9年が経った

薬を飲み始めてから、血圧は徐々に落ち着いていった。今は毎朝1錠飲んでいて、測ると120前後で安定している。

最初のうちは「薬に頼るのが嫌だ」という気持ちがあった。食事を変えれば、運動すればなんとかなるんじゃないか、と思っていた。でも医師に「あなたの血圧は体質的なものが大きい。食事改善だけでは難しい数値です」と言われて、腹をくくった。

薬を飲むことへの抵抗感は、1〜2年で消えた。今では「血圧が安定している」という安心感のほうが大きい。毎朝、薬を飲む前に血圧計で測る習慣が身についた。数値が120台で出ると、「今日も大丈夫だ」とひとりで少し安心する。飲まなかったら今頃どうなっていたか、と考えることもある。

医師に「家でも毎日記録してください」と言われてから、上腕式の血圧計を買った。手首式より精度が高いと勧められたからだ。毎朝同じ時間に測って手帳にメモしておくと、診察のときに医師がすぐ確認できて助かると言ってくれる。9年間で血圧計のデータは、自分の体の”日記”になった。

私が使っているのはオムロンの上腕式血圧計で、Bluetoothでスマホにデータを飛ばせるタイプだ。毎回手書きしなくてよいので楽になった。同じように毎日記録を続けたい人にはおすすめしたい。

▶ オムロン 上腕式血圧計(Bluetooth対応)

高血圧は「沈黙の病気」とも言われる。症状がないまま血管が傷んでいく。だからこそ、薬で数値を管理し続けることに意味があると、今は素直に思っている。塩分を控えることや、体重を増やさないことも心がけるようになった。

同じ時期に、右目に異変が出た

血圧の薬を飲み始めた頃と同じ時期に、今度は右目がおかしいと感じた。視界の中心がゆがんで見える。文字を読もうとすると、真ん中あたりが波打つような感じがした。最初は「疲れ目かな」と思ってそのままにしていたが、1週間経っても改善しないので眼科に行った。

眼科に行ったら、「加齢黄斑変性です」と言われた。

加齢黄斑変性という病名を、そのとき初めて聞いた。目の奥にある黄斑という部分が傷つく病気で、放っておくと視力が大きく低下するリスクがあるという。50歳で言われると思っていなかった。検査結果を見ながら、「血圧と目と、いっぺんに来るか」と思った。

加齢黄斑変性は「滲出型」と「萎縮型」があり、私は水が漏れ出す滲出型だった。放置すれば中心の視力がどんどん失われていく。「早く来てくれてよかった」と眼科の医師に言われたが、あの1週間の放置がなければもっとよかった、と今でも少し後悔している。

5年間の通院、注射4回、レーザー2回

そこから5年間、眼科に通い続けた。

治療の中心は、眼球に直接注射を打つ治療だった。目に注射、と聞いて最初は怖かったが、麻酔をするので痛みはほとんどなかった。それでも「目に針を刺す」という事実には、4回受けても慣れなかった。治療後は目が充血して、しばらく視界がぼんやりする。その日は車の運転ができないので、妻に送り迎えを頼んでいた。

注射を打つたびに「今回で止まってくれたら」と思った。でも検査のたびに、まだ水漏れが残っていると言われ続けた。「効いていないわけではないが、完全には止まっていない」という状態が続き、正直気持ちが折れそうになることもあった。検査の結果を待つ時間が、毎回つらかった。

そして注射から少し期間をおいて、レーザー治療を2回行った。「水が漏れていた場所を直接焼いて塞ぐ」という方法だ。注射よりも短時間で終わるが、治療中に光が当たるたびにまぶしく、終わった後はしばらく視界が暗くなった。主治医から「水が漏れていたところを直せた」と言われたとき、5年分の緊張が少し解けた気がした。

2つの病気が重なったとき、どう気持ちを整えたか

血圧と目の病気が同時期に重なったとき、正直かなり気持ちが沈んだ。

「体がいっぺんに壊れていくみたいだ」と思った。仕事をしながら内科と眼科、2つの病院に定期的に通う生活は、想像していたより消耗するものだった。通院のたびに半休を取って、検査結果を待つ時間がつらかった。同僚には「また病院?」と言われることもあって、なんとなく肩身の狭い思いもした。

それでもなんとかやれたのは、「治せないかもしれないけど、悪化を止める治療はある」と医師に言われたことが大きかった。完治ではなく、「現状維持」でも十分意味があると気づいてから、少し楽になった。血圧も同じで、「薬で120に保つ」ということ自体が、立派な治療なのだと今は思っている。

59歳の今、思うこと

あれから9年経って、今も血圧の薬は飲み続けている。右目は、視力が完全に戻ったわけではないが、日常生活に大きな支障はない。レーザーで塞いだ箇所は、今のところ再発していない。定期的に眼科で経過観察を続けながら、「このまま安定してくれれば」と思っている。

50代は「病気が始まる年代」だと実感している。ただ、始まったことは変えられないし、発見が早かったことはむしろよかったとも思う。健康診断を毎年ちゃんと受けていたから気づけた血圧、目の違和感を放置しなかったから5年で食い止めた加齢黄斑変性。どちらも「気づくのが遅かったら」と思うとぞっとする。

同い年の友人に、この話をすることがある。「目がゆがんで見えることがある」と言う人が何人かいて、そのたびに「すぐに眼科に行って」と伝えている。加齢黄斑変性は早期発見が本当に大事で、放置するほど治療の選択肢が減る。

健康診断の数値を「まあいいか」で流さないこと。目の違和感を「疲れかな」で放置しないこと。この2つだけは、同世代の人に強く伝えたいと思っている。

薬も、通院も、治療も、全部が「今の自分を維持するための仕事」だと思えるようになったのは、50歳を過ぎてから学んだことの中で一番大きかったかもしれない。病気になる前の体には戻れないが、今の体と上手に付き合っていくことはできる。59歳の私は、そう割り切ることにしている。


関連記事

定年退職が近づいてきたとき、健康保険のことは後回しにしていました

定年後の生活費が年260万円足りない|59歳が実際の数字で直面した現実

妻が59歳でバドミントンを再開したら疲れにくくなった|運動音痴の夫が1年間観察した記録

コメント

タイトルとURLをコピーしました