「実家を片付けてほしい」と言われた日のことを、今でもときどき思い出す。何から手をつければいいかまったくわからなかったし、正直なところ、気持ちの整理もできていなかった。59歳の私が実際にやった順番と、後悔したことを、そのまま書いておこうと思う。
「実家、そろそろ片付けてほしいんだけど」
その言葉を母から聞いたのは、昨年の秋だった。電話口で、少し遠慮がちに、でもはっきりとそう言われた。「もう足腰が弱くなってきたし、いろいろ整理しておきたいのよ」と。
突然というわけではなかった。母は78歳で、一人暮らしが長くなっていた。頭のどこかで「いずれそういう日が来る」とはわかっていたけれど、いざ電話で言われると、なんとも言えない重さが胸に来た。
週末に実家へ向かった。40年以上住んだ家だ。廊下には段ボール箱が積まれ、押し入れはふすまが半開きで物がはみ出していた。「どこから手をつけるんだ」という感覚と、「これを全部片付けるのか」という途方に暮れた気持ちが、同時にやってきた。何も手がつけられないまま、その日は夕方になった。
まず「捨てる」より「仕分ける」から始めた
最初にやろうとしたのは、不要なものをゴミ袋に入れることだった。でも、すぐに詰まった。何が「不要」なのかを判断するのが、思ったより難しかったのだ。
そこで考え方を変えた。「捨てるか・捨てないか」の2択ではなく、「使う・使わない・判断できない」の3つに仕分けることにした。「使う」ものはそのまま残す。「使わない」ものは処分用の袋や段ボールへ。「判断できない」ものは一旦まとめて別の場所に置く。このルールを決めただけで、作業のペースがぐっと上がった。
焦って捨てようとすると、迷って止まる。迷って止まると、片付け自体が嫌になる。それよりも「仕分けること」に集中する方が、結果的に早く進んだ。最初からこのやり方にしておけばよかったと、後になって思った。
親の思い出の品に手が止まった
仕分けが進んでいくうちに、「判断できない」の山が増えていった。母の若いころの写真、父が生前使っていた道具、子どものころの私たちの絵や通信簿。こういうものに触れるたびに、手が止まった。
捨てるつもりで手に取っても、なぜか袋に入れられない。感情的な重さがあった。「捨てていいよ」と母は言ったけれど、私には決められなかった。判断しようとするたびに、何か大切なものを終わらせてしまう感覚がした。
そこで、こう考えることにした。「今日は捨てなくていい」と。思い出の品は、すべて段ボール1箱にまとめて「保留」にした。捨てるかどうかは、後で落ち着いてから決める。焦って判断しなくていいものは、急いで決めなくていい。その判断は、今振り返っても正解だったと思っている。無理に捨てなかったことで、気持ちが楽になった部分は確かにあった。
業者に頼んだものと、自分でやったもの
片付けを進めていくうちに、「これは自分では無理だ」というものが出てきた。大型の冷蔵庫、洗濯機、テレビ台、和室の大きな棚。これらは一人では動かせないし、自治体のゴミ収集では引き取ってもらえない。迷わず不用品回収業者に依頼した。
一方で、衣類・書類・日用品・食器類は自分でやった。これは時間がかかるが、お金はほとんどかからない。衣類はゴミ袋、書類はシュレッダーにかけるか束ねてゴミへ、食器は数枚だけ残してあとは処分した。
判断基準としては、「重くて大きいものは業者、軽くて仕分けが必要なものは自分」と決めたら迷いが減った。業者と自分の作業を分けたことで、それぞれの負担が整理され、全体がスムーズに動いた。
片付けにかかった時間と費用(正直に)
実家の片付けに要した時間は、トータルで4日間だった。週末2回に分けて、それぞれ2日ずつ動いた。1日の作業時間はだいたい6〜8時間。それでも完全には終わらなかったが、「普通に生活できる状態」にはなった。
費用は、業者への依頼が4〜5万円ほど(大型家電4点・家具2点の回収)。自分でやった部分の処分費用は数千円程度だった。思ったより高くないという印象もあるし、思ったより時間がかかったという印象もある。「どのくらいかかるんだろう」と不安に思っている人の参考になればと思って、正直に書いた。
もうひとつ後悔したことがある。最初から業者と自分の分担を決めていれば、1日目の混乱がなかったと思う。段取りを決めてから動き始めることの大切さを、身をもって学んだ。
実家の片付けは「親との対話」だった
片付けを終えて、実家を後にするとき、不思議な気持ちになった。すっきりした達成感もあったけれど、それだけじゃない何かが残った。
古い道具を整理しながら、父がどういう人間だったかを改めて感じた。母の若いころの写真を見て、知らなかった顔があった。子どものころの自分の絵が出てきて、あのころの記憶が戻ってきた。物を片付けるということは、その人の時間に触ることだと気づいた。
「早く終わらせよう」という気持ちは何度もあった。でも、ひとつひとつ手に取っていくことで、急いでいたら見えなかったものが見えた気がする。
実家の片付けは、単なる作業じゃなかった。それは、親と、そして過去の自分と、静かに向き合う時間だったんだと、今はそう思っている。感情的にきつい場面は確かにあった。でも、やってよかったと、心からそう思っている。

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